こんどうweblog

思い出したように文章を書きます

結婚

結婚。そんなもんは僕には縁のない話だと思っていた

そういや中学・高校生の頃は早く結婚したいと思っていた、学生結婚くらいがいいんじゃないかなんて思っていた

学生結婚ってなんか憧れていたね

苦しい時代を共にするってかっこいいじゃん。みたいな憧れ

しかし僕の人生は18歳の大学受験の失敗で終わっていた

もっと言えば高校2年生の1月くらいで終わっていた

成績は学校で最下位争い、学力は偏差値20代の科目もある中学生レベル

大学受験のための参考書なんて読めなくて、英語は公文の中学生の参考書から勉強を始め数学も中学生の数研出版の本を最初から始めることになった

評定も死んでるので自力で大学入試を突破するしかないうえに父親から課された大学レベルは旧帝以上

中学生レベルの学力と目標の差に気づいた高校1年の1月で終わった

父親からは阪大の理系学部に行かないと人ではないと言われていたので

そこから一浪しても結局立命館大経済にしか受からず、自尊心は地に落ち受験の為にギターもやめ、ネットもやめ、youtubeもやめ全てを掛けたが自分はこの程度の人間なのだとまざまざと現実を見せつけられ荒れない訳がなかった

 

高校3年の冬くらいから酒と煙草を受験のストレスから始めた

浪人の時は酒は酷くなった、金銭的理由から量を飲めないのでどうにかラリる方法を探し、父親が処方されていたマイスリー錠という睡眠導入剤を飲み酒を飲み飛んで、深夜に家をこっそり抜け出して物陰でバレないように煙草を吸う

 

それでも大学受験さえ一発成功してしまえばいいやと思っていたがそれも失敗

自分と親が見下していた大学へ勝手に親に入れられ、やっぱりやり切れないやと思って仮面浪人するも失敗

現実逃避する為に酒は酷くなり大学では友達も出来ず喫煙所とパチ屋の往復で

頭がどうにかなりそうで母親との電話中に発狂してそこから更に自分の殻にこもるようになり、ニコニコ生放送で酒を飲みながら配信し、女を作り原付で600㎞飛ばして東京まで会いに行き、セックスをし素人童貞を卒業した

 

そこでできた初めての彼女は自分にとって肯定してくれる存在で彼女ができて1年間は遠距離だが月1くらいで会い、会ってはホテルで半日はセックスをし、もう半日で観光をした

 

いよいよ実家にいるのが限界になってきたので2015年の3月に家出をした

神奈川に家を借り駆け落ちをした

その時の僕は彼女の事がそんなにかわいいとか好きとかそのような感情は無く、ただセックスをめちゃくちゃさせてくれる程度にしか思っていなかった

大して大事にもしてやれなかったし、隠れて結構ワンナイトなセックスも他でしていた

付き合って二年くらいしたらもう僕は別れたかったが、別れたら死んでやると言われていたので別れる踏ん切りは付かなかった

結局、そのままズルズル3年ほど付き合いお互い若い時間を無駄にした

とりわけ彼女は僕より年上で23歳~28歳の女として旬な時間をこんなクソ男に費やすことになってしまったのだ

 

この時間泥棒、婚期逃したじゃないかなんて事は言われた事はないが、この経験がある一つの答えを導き出した

 

その答えは次からは1年で別れる

 

2018年の11月14日に別れを告げられ、そこから1週間体調を崩したが、治ったらすぐに新しい女を探していた

3週間後に好みの女性と知り合い、2018年の12月末には付き合いを始め同棲が始まった

 

3年間のロスから得た「1年で別れる」も彼女に説明し、了承を得て付き合いが始まり2020年になったら別れようという事だったが、2020年1月に向こうから3ヶ月延長して欲しいとのことで3ヶ月延長したら途中で妊娠が発覚し結婚することになった

 

27歳で結婚し、2018年11月14日にフラれた2年後の2020年11月14日に一児の父になった

 

色々端折ったが何があるか分からない

そう思った一年だった

 

ギター

僕は15歳からエレキギターを始めた

中3から弾き始めて高3の18歳まで結構毎日弾いていた

その後、大学受験で浪人したこともありギターを辞め大学に入ってからもギターをやらなかった

 

なぜギターを弾かなくなったかと言うと「大学受験で失敗した俺がギターなんて弾いてて良い訳ない」と常に強く自分を責めていたのと同時に何も考えずに、ただ手だけを動かしてうまくなるという時期なんて言うのはとっくに過ぎていたのにギター練習こそが全てというストイックな自分に酔っていた所、ライバルのギタリストはドンドン上達していき水を開けられたからだ

 

 

自分の中で音楽理論をある程度時間をかけてきちんと学んで、体系的に覚えていかないともう成り立たないなという感覚はずっとあり、ここ10年間くらいギターを弾いていないにも関わらずノートの将来したい事の欄には必ず「音楽理論学ぶ」と漠然に書いてあった

 

書いてあることだし、ずっとしたかったから勉強しようと思って書店に行っては「ギタリストの為の音楽理論」みたいなのを買ってはどこかに行きを繰り返した

 

月日が流れ2020年コロナで巣籠りし、楽器が流行っているという事だったので僕も押し入れからカビと錆びだらけのギターを出してきて、メンテナンスに1週間を掛けまたピロピロギターを弾き始めた

10年~11年前の僕はB‘zの曲をカバーしてはyoutubeに上げるというルーティンを持っていたのでその時のようにギターを抱え指板を握ると猛烈にその時の記憶が湧き上がり、実家のクーラーの無い部屋に音漏れしないように部屋を閉め切り汗だくになって練習していた当時を思い出した

 

とにかく夢中で楽しくて、好きな曲の好きなリフだけ弾くような日々

その時のギターの技術を取り戻すかのように指の練習をした

3ヶ月くらい定期的にギターを弾くようになってきた頃から、10年前に近いくらい指が動くようになってきてまたあの壁にぶち当たった

「この練習をしていても俺はこれ以上そんなにうまくならない」

来たよ、この感覚。またこれか。うまくならないならギターから逃げるか?

とりあえず本棚にあったペンタ系の本の音楽理論のページを真剣に読む。

うん、分からない、チンプンカンプンだ。

もう一冊、本棚にあったジャズで学ぶ音楽理論みたいな本を読む。

やばい、もっと分からない。

 

「俺は本当に音楽の事を何も理解していないのだ」と痛感し、高校の音楽授業なんて実践的じゃないしつまらないとバカにしていたことを恥じた

小学校で初めて音楽の授業を受けた時のような教材を探そうと考え、今までたくさん本を買っては無くすの繰り返しをしてお金を無駄にしてきたが、なんと最良の教材は無料であった

 

ヤマハさんのサイトでこういうのがあるんです

jp.yamaha.com

僕のようなミとファの間は半音なんて事も知らないような人間にピッタリな教材を見つけ、ギターを弾くことはしばらく休んでPCとノートで音楽を学んでいった

2020年の下半期は音楽理論をこのサイトに出会ったことにより、初めて理解でき自分の中でもっと学習しようと能動的学習意欲に火が付いた

2021年も時間を作って引き続き勉強していきたい

 

ギターの話はまた書きたいな

 

 

放送大学

いつか大学にまた行きたいと思っていたので今年の4月から放送大学で勉強することにした

放送大学の学生の栞をまだ読み込んでいないので詳しくは分からないが、とりあえずこんどうは2年次編入か3年次編入をすることにした

 

それに伴い必要書類を中退した立命館大学に年末から問い合わせているが、どうやら僕は中退ではなかった事が判明した

2015年8月31日 除籍

という扱いであった

おかしいな2015年の3月末に大学行って退学届けを書いてきたのになぜ除籍扱いなんだ?と思ったけど、立命館の学修要覧を読んでいるとどうやら中退も除籍も扱いはほとんど変わらないことが分かったのでそこは何か事務局に言う事は無いかなぁと

 

実際、編入に必要な放送大学指定の書類に在籍期間の証明と単位修得証明書は記入して貰える運びになったので、おkかなぁと

ただ退学扱いではないので放送大学に提出する書類の大学入学資格証明書の一つである退学証明書は発行して貰えないのでそこは高校の卒業証明書で対応する予定だ

 

出来るだけ最短で学士の資格が欲しいという思惑とゆっくり理系科目を勉強したい、あわよくばプログラミングなんかも勉強したいなぁなんて相反することを思っているのでここから履修登録までは結構、日程の調整と授業の確認と卒業要件とを睨めっこしながらの感じになるのかな

 

こっそり頭の中にあることの羅列

・社会人入試で近くの大学に入学する(実験授業があるのと同級生との会話ってモチベーション上がりそうなんて薄っすら期待)

・大学院の試験を頑張ってどこか院行きたいなぁ

・家族がいるから分からないけど、院は国内外問わなくても何とかならないかなぁ

・っていうか院生って奨学金めっちゃ恵まれてるから勉強する環境いいなぁ

・大学院も社会人入試もTOEICの数字いるし英語は頑張らないとなぁ

 

 

 

毒親と絶縁する 古谷経衡 書評

3行書評

両親からの教育虐待によるパニック障害の発病

小学校時からの読書と興味の掘り下げによる、早期の経済的自立と精神的な自立

法的リテラシーの高さとその実行力による、確立された自分自身の開拓

 

 

予約していた本を受け取れたのでこの本を読んだ

本を読もうと思った時に気になるのは「書評」と「タイトル」と「著者」の3点で読むか否かを決める

この本の場合は新書で「書評」が無く、「タイトル」と「著者」で選んだ

 

「著者」のイメージは北海道出身の立命館大学の日本史科出身なので極左カラーが強い人物

 

右でも左でもどっちでもいいが、それで飯を食っている人自体あまり好きではないので今回は「タイトル」だけで読む判断をした

 

私自身、古谷さんとの共通点が多い

出身校は立命館大学で、自分の親の事を毒親だと思っているし、6年ほど連絡の取りあわない絶縁状態だ

また父親にされた恫喝がもとで私自身もパニック障害を患い通院している

 

本の中で出てきた父親象はとても被るところが多い

・外面が良い

・強烈な学歴コンプレックス

ブルーカラーの見下しとその思想の押し付け

・ジョブキャリアは比較的順調

 

この本は如何にして古谷さんがパニック障害を患い、寛解まで至ったかを書いている

パニック障害は環境要因が7割で、発症してもすぐに病院までたどり着かないケースが多い

病院にたどり着いても医師との相性もあり素直に寛解まで行くのは時間はかなり掛かる

またパニック障害は併発病も多く、不眠や鬱、アルコール依存症などの依存症も患いやすい

古谷さんの思想が気になって読むのに躊躇している人もいると思う

彼にとっての歴史や思想は自分の精神衛生を守るための防具であり、自己を表現する為の武器だ

俳優にとっての演技、芸人にとっての芸、料理人にとっての調理などの売れる為の一つの手段に過ぎない

この本にも多々歴史的記述や思想的な記述が出てくるが、興味が無ければ読み飛ばしても構わないと思う

その事によって彼とこの本の魅力が減る事はない

 

親に過度に勉強しろと言われ進路を決められた事を悩んでいる人やパニック障害を患っている方、実家と疎遠中の方などにはこの著者の生き方や考え方はマイナスにならないと思う

 

毒親と絶縁する (集英社新書)

毒親と絶縁する (集英社新書)

 

 

 

 

禁酒

一年前、僕はアルコール依存症でとても苦しかった

詳細なきっかけは何か分からないが、お酒を飲まないと人と話すことが出来ないという現状がおかしいと思って二日酔いで気持ち悪い12月の暮れの朝6時半に当日予約できる心療内科を探して予約した

 

アルコール依存症というのはお酒をただ飲み過ぎてしまう・お酒に依存してしまうという事だけではなく、お酒に依存するという結果にたどり着くまでの過程が問題なのだ

 

 

それは家族の事なのか、仕事の事なのか、人間関係の事なのか

それらの原因が複雑に絡み合い、自分の精神状態を正常では無くす

 

酒に逃げなくては自分がおかしくなりそうという気持ちが逃げ出した先にアルコールがあり、依存していったのだ

深く依存していると自分がなぜ最初酒に逃げたのかをもう思い出せない

 

アルコール依存の断酒は対処療法であり、自分自身をアルコールから自由にさせてあげるには自分の中でなぜアルコールに走らざるを得なかったのかその状況とその時の感情と判断材料をできるだけ事細かに思い出せるだけ思い出し、その認知を変えていく他ないのだ

子育ては旅だ

子育てを始めて3週間
最初の2週間は本当につらかった
慣れない作業と深夜にも訪れる授乳時間、抱っこしても泣き止まない我が子

途方に暮れた
出産前に図書館で育児の本を5冊くらい読んだが、思ってたのとは全然と違った

1か月は外に出せないので、両親のどちらかは子供の面倒を見るために在宅する
当然、両親の運動量は減り深夜に泣かれるから睡眠の量も質も減る

そのような以前とは違うコンディションで日中仕事やら家事やら各々のやることをするのだが、それも赤ちゃんが泣けば作業の手を止めて子供に時間と集中力を取られる

子育ては時間をゲリラ的に取られるだけでなく、お金も掛かる
赤ちゃんのミルク代、おむつ代、保育園の費用、ベビーカーetc…
意外とお金がかかり、収入が多いとは言えない我が家の家計を圧迫する

両親は時間とお金が掛かる自身の出費や趣味を見直すことを迫られる
人によってはこれは子供に自分の自由まで奪われると感じかもしれない


この疲れと使いたくもない時間とお金を使わされ、自由も奪われる感覚は旅行に近い


唐突だが僕は旅行が嫌いだ
そもそも外に出るのが億劫で、人と関わるのもあまり得意ではない
高いお金を払うだけではなく、時間も使って同行者へ気も使って旅館で出る晩飯は糖質制限をしている僕には辛かったりする

それで得られるのはだいたい疲労で、帰路でほったらかした日常のツケを思い少し憂鬱になるのだ

タイトルの旅はそういう意味でだけ付けた旅ではない

この意味での旅行は自分の過去への旅行なのだ
自分の人生を振り返った時に、年々若い時の記憶というのが無くなっていく
学生時代くらいまでは思い出せても、幼稚園以前の記憶はほぼない
記憶がないことによって、自分の両親が小さい頃にしてくれたことも思い出せない

そんな中子育ては過去の自分の生活や周囲の人の反応とを思い出せてくれる過去への旅行ではないかと思った
勿論、自分自身に今赤ちゃんだった時の記憶はない
でも自分の時間を我が子に泣かれて阻害されているように両親もきっと僕に自分の時間を阻害されてきたのだと思う
そして両親にも人生があって、その中で僕はどういう風に扱われ愛されてきたのかを推察することが出来る

子育ては忘却の果てにある過去の記憶にタイムスリップできる旅行なのだ

そう思うと子育ても義務感から解放されて自分からこの続きが見たくなってきた

それはそうと旅行が好きな人に言わせれば、旅行の最大の楽しみは疲労もハプニングも浪費も後になって語る事ができる思い出が一番らしい
僕も早くそういう境地に行きたい