こんどうweblog

思い出したように文章を書きます

禁酒と学習 その1

2020年2月26日に禁酒を始めてから今日で禁酒1年を無事に迎えることができた

 

禁酒1年を迎えた時の晩飯が鶏肉を少し辛く煮たものだった

食べた時の感想が「これ焼酎のソーダ割に合うなぁ」だった

 

飲酒系youtuberの動画も観るし、多分どこかで飲酒をしたい欲求ってのはあると思う

飲みたいと思ったという事は疲れてるのかなぁと早めに就寝したり、身体を休める事をしてきた

飲酒欲求が沸いてきた時に今日は飲まないという選択をしてきただけなのだと思う

 

禁酒期間中は運動をすることと脳の回復に努めた

運動に関しては週に2回ほど禁酒前からジムに通う生活をしていたのでそこまで苦ではなかったが、禁酒以前はジム後はプロテイン飲むより大酒を飲んでいたのでそこの習慣を正すのがかなりキツかった

ジムでのトレーニングが終わったら身体がアルコールを欲する

この症状は今も少しあるが、半年くらいは苦しめられたように思う

 

脳の回復は飲酒を始めた10年前から知能の向上を目指しておらずそんな時間があったら酒を飲もうという人間だったので、かなり難航した

まずはきちんと文字を読む練習からだ、ヤフーニュースで軽く読みやすい芸能記事から始め、その後はRRSでNHKニュースや毎日新聞等を読んだ

禁酒をして2ヶ月くらい経った4月からは毎日新聞を購読して毎朝家に届けてもらうようになった

そこでも一面や二面なんていう政治経済の記事はまだ読む体力が無かった為、視聴者の悩みに著名人が答えるようなページや地元のニュースばかりを読んでいた

 

これも読めるようになってきたなぁと思っていた頃に学者達が週に一回ほどコロナにまつわる寄稿をしていて、それをなんとか食らいついて読んだがさっぱり分からず精読には多くの時間が掛かった

 

新聞が読めない。これはとても落ち込んだ。

僕の脳はここまでパフォーマンスを落としていたのかと10年の生活を飲酒だけでなく総合的に悔やんだ

新聞の数独を毎日して時間を計って、脳の回復の目安にした

こんな事も小学生の頃にしたなぁと思ったが、できないところに戻ってやらないとダメだと思って数独を一か月した

自分でもタイムが上がってきて、解けない数独の問題もなくなりこれはそろそろ集中力も脳のパフォーマンスも戻ってきたなと思ったので、読めなかった一面と二面の政治経済の記事に戻った

一日、2時間は新聞を読むのに費やしたと思う

知らない事は調べ、ノートにまとめ納得するまで調べた(アウトプットをする機会を増やせばよかったと今になって思うが)

 

新聞を読む生活を始めて5か月頃が過ぎた時、脳のパフォーマンス向上は新聞の精読ではそろそろ頭打ちだなぁと戻ったと思い、過去の自分を分かりやすく超えたいと思いTOEICに挑戦することにした

 

大学受験でバリバリに英語を勉強していた時の最高数値が535点だった(TOEICの点数に換算されるテストを立命館大学入学時に受けた。厳密にはTOEIC受験の数値ではないが)

 

酒を飲んでいた2019年5月の日本ダービーの日になぜか知らないが酔っ払いながら申し込み、二日酔いで受けにいったTOEICの点数がちょうど400点

 

僕は540点を目指して勉強を始めた

2020年の10月25日に受験し

結果は515点

 

まだ最高値は超えられないかととても悔しかったが、ここまで戻ってこれたという気持ちがあった

まだ誰にも言えるような数値ではないが、ここまで戻ってこれた

その実感が自分の回復に大きな自信を与え、まだやれると思い学習を加速させた

 

28歳の誕生日を迎える前になんとか最高値を出しておこうと誕生日の間近、2020年12月6日に再度受験

結果は660点

 

ようやく過去の自分を超えられた

点数も文句はない、とてもうれしくて母にも報告した

この時にアルコール依存症から大きく回復したのだと思えた

600点を超えると近所の大学の社会人入試の権利を得られるので密かに目標にしていた

 

少し長くなったのでこの記事をその1として分けて書きたいと思う

また来月もTOEICを受ける予定なので頑張りたい(このTOEICを最後にする予定だ)

 

それではまた気が向いた時に禁酒と学習 その2を書きたいと思う

 

ご拝読ありがとうございました

禁酒による離脱症状と対処法

禁酒を開始して1年弱

時間の使い方は否が応でも変わる

飲酒に毎日6時間程度の時間を費やし、1年で2190時間浮いたわけだ

2190時間浮いたと言ってもアルコールから自由になれたと感じることが出来たのはつい最近でそこまでの回復の道のりはとても長かった

 

禁酒を始めると必ず肉体的離脱症状と精神的離脱症状が必ず現れる

 

まずやり始めたことは毎日日記を書いた

とても正気じゃないと思うほど長く書くことがあった

1日で1000文字を超える日もあった

というのも狂気的でないと離脱症状が辛すぎて乗り越えられる気がしなかったのだ

自分で自分を励ます、それくらいしか自分の中のバッカスに贈るレクイエムは無かった

 

禁酒を始めて1ヶ月くらいはとても肉体的な離脱症状がつらい

寝汗を大量にかいたり、身体がかゆくなったり、イライラしたり、鬱気味な気持ちになったりこの時期はとにかくつらかった

ネットで「禁酒 効果」なんて調べるがそんな効果を見聞きしても自分にはその言葉を間に受けるほど余裕はなく、「なんでこの人たちはそんなに鬼の首を取ったようにメリットをつらつらと述べられるのか」と不思議で仕方なかった

 

今、思い出しても禁酒の最初の一か月は地獄で思い出したくもないほどつらかった

用もなく飲み屋の前をウロウロして誰かに声をかけられるのを期待したり、スーパーに行っても酒売場から行き新しい商品を確認したり、とても惨めで誰かに救って欲しい気持ちがあったように思う

 

1か月も飲まなくなると少しは自信がつく

肉体的な離脱症状も終わり、ネットで見聞きしたメリットも少しは体感するようになるからだ

それでも精神的依存はまだまだどっぷりな段階で「もしこの場に酒があったらなぁ」とか「去年の今頃の飲んでいる時はよかった」だなんて基準がどうしても飲酒時になる

そういう飲酒時を回顧する事それ自体が飲酒欲求に繋がり、「飲んでいない今この時は幸福なのか?」と飲酒を基準に比べすこし落ち込む

 

酒を飲む事が幸福であるという思考がメインである限り、精神的な依存からは抜け出せないと気付き、そこからはどのようにこの状況から抜け出すかを考え色々調べた

 

僕自身、2019年の12月頃からパニック障害社会不安障害心療内科に通っている

この病気を治したいという思い薬物療法を続け、少し落ち着いてきたので薬を漢方に変えてから少し症状が前よりは暴れだしてきたので日常でセルフケアを行う方法が無いかと調べて行くと認知行動療法というものに出会った

 

認知行動療法とは簡単に言うと思考の癖の修正なのだが、薬物療法のように薬を飲んだらすぐ良くなりますよというものではなく、個々の場面における思考と行動を整理してその起きたことをどう捉えるか(認知する)を常々行っていくので結構大変だ

 

この認知行動療法の考え方を禁酒の精神的な依存にも取り入れてみた

飲酒をするという行為は僕の中でいくつもの要素が絡み合っていて、場面においても自分の中における酒の役割は大きく変わる

 

・オンとオフを明確に分ける物

睡眠導入剤

・自分を大きく見せる為のアイテム

・女性とセックスするときの口実

・自己情報を他人に開示する為の鍵

 

ぱっと思いつくだけでもこれだけの重大な役割をアルコールに担わせていた

恐らくアルコール依存者は誰しもこのような自分の中で大きな役割をアルコールに担わせていて、その場面に出くわした時にアルコールを摂ることで行動と思考を自動化させていることが精神的な依存に繋がり、禁酒3ヶ月目あたりでぶち当たる壁はここだと思う

 

一つずつ自分がアルコールに頼って思考と行動を自動化してきたその場面で立ち止まって、どのような事が起きていて自分はその事についてどう思って、その後どのように行動するかという事を最小単位まで分解していけば必ず一つずつ解決していける問題なのだ

そこで最小単位まで分解したことによって膨大な問題解決数になっても一つ一つの問題はきっとそこまで難しくはなく、自分で解けそうになければ誰かにそのことを話してみればいいし、一つずつ解決することで気づいたらアルコールに頼らず前に進めている自分自身の成長に気が付くはずだ

 

僕はこのようにして精神的な依存から回復してきて、今も飲酒で解決してきた問題が出てきた時このような思考をして対処している

離脱症状で苦しんでいる人に少しでも参考になるような事が書けているか分からないが、ここまで読んでくれてありがとう

 

また禁酒については書きたいと思う

それでは

もうすぐ禁酒1年

もうすぐ禁酒を開始して1年が経つ

2021年2月26日を無事迎えることが出来れば1年禁酒しているという事になる

 

禁酒を始めたキッカケは僕はとにかく18歳からの10年間本当にすごく酒を飲んできた

大酒を飲み続ける為には肝臓と脳に大型連休が必要という謎理論を持っている

酒が抜ける離脱症状は本当にとても辛いけど、毎年1ヶ月程度の禁酒をしていた

それが去年もあり、2020年の2月26日から始めた

 

禁酒を始めてから1ヶ月ほど経った時に、付き合っていた彼女に生理が来ないと言われ妊娠検査薬を試したら青い線が出たのが3月中旬

そこから産むのか堕ろすのかで1週間ほど悩み、親への報告やら戸籍謄本を取りに行ったりで毎年苦しんでいた禁酒一か月はあっという間に過ぎた

 

妊娠が分かってからまた僕同様、大酒飲みの彼女も禁酒生活に突入

僕は禁酒一か月経ったが、外はコロナで飲み屋が締まり彼女も妊娠で禁酒中で僕だけ飲めるような雰囲気じゃなかったのでとりあえず禁酒は継続という事になった

 

禁酒を始めて3か月頃経った、2020年6月頃

彼女に悪阻が始まり、何も食事が摂れなくなり同時に飼っていた猫の体調も少し悪くなり緊急で車を出すようなことが増えた

その時に僕は少し悟った

「あぁ、これは禁酒の期間は無期限だな。30歳で酒を辞めるつもりだったけど3年早まったな」

子供が産まれれば熱出たとかで夜間も車を運転することもあるだろうし、これは飲めないなと思った

 

この話を他人に話すと「一杯だけにしとけばいいじゃない」とか「食事の時にビール一杯くらいならいいんじゃない?」と言っていただけるが適正飲酒がもうできなくなっている僕には無理なのだ

一杯飲んだら夜中まで飲んで気絶したように寝て、起きて二日酔い気持ち悪い。水飲まないとってやらないと気が済まないのだ

 

飲酒に費やしていた時間が禁酒でぽっかり空いて、新たに始めてみたことを箇条書きしたい

・読書

・投資

・音楽

・勉強

・新聞の購読

 

今回は長くなったのでこの辺にして次回以降、この禁酒1年の間に空いた時間をどのように過ごしたかを書きたいと思う

2021年1月27日

知人の死は僕に人生は有限で必ず終わりが来る事を教えてくれた

死は受け入れ難いが必ず来る

一寸先は闇

明日も同じように生きていられる保障はない

自分は何かに生かされていると感じる

自分は何を残せるかと今日考えてしまった

何も残せていないし、何かを残すなんて壮大な事を考えるのはよそう

一寸先は闇なのだ

今、誰かを幸せにすること、不便を解消してあげること、お金を寄付すること

できることをしよう

死後の評価は知らないし、自分ではコントロールすることができない

 

2021年1月26日

前日就寝時間12時

起床9時半

 

最近とても疲れている

午後になるとずっと軽微な頭痛があるような感覚がある

1月24日に知り合いが自殺したと知ってから不安な気持ちになることが多い

自分はもうだめなんじゃないかとか思う時間が増えた

死にたいという感情は無いが、消えてしまいたいと思う

いつもは早寝早起きだがそれを実践しようという前向きな気持ちが沸かない

子育ても家事も仕事もしたくない

恐らく軽い鬱症状で頓服を飲む回数が増えるばかり

睡眠時間もダラダラ寝る時間が増えた

妻にはテレビを消して生活をしてほしい、何時間もダラダラテレビを付けてどのようなメリットがあるのか?

テレビは今やっている事の集中力を削ぐ、自分の今やるべき優先順位の一位に「テレビを観る」が強制的に割り込んできてとても迷惑だ

妻に感謝を伝えたいとは頭で思っていても行動できない

そろそろ歯医者に行きたいけど、歯医者が怖くて歯医者に行けない

調べると僕のような不安障害やパニック障害を患ってる人間は歯医者が苦手な傾向にあるようだ

セラミックのインレーを入れたいけど、今のインレーを外すのに削るのが必要だろうしその時に痛かったり沁みるのが嫌だ

今のインレーを外してみて「やっぱりこんどうさん、神経抜きましょう」なんて言われたらどうしようかとか不安に思う

書いてみるとたいした不安じゃない事は分かってるが、自分を覆うこの不安はノンバーバルで形を持たず飲み込んでくる

その時、すがるような気持ちでネットで何かを検索するけどそんな冷静じゃない時に効くありがたいハウツーは無い

ネット検索で不安を解消するから、電波の届かない地下は好きではない

それなら電波の強い3大キャリアにしろと思うが、金が無いので1年無料の楽天モバイル

Google検索エンジンにキーワードを打ち込んでいると安心する

打ち込んでそれらしい解答があると何故か落ち着く

そんな時間の無駄を辞めたい、メンタルが退行しているので気を付けたい

 

 

日記

メンタル疾患を患っているという事が分かってから治すために色々調べた

その中にあったのが「日記」を書くことだった

その日から約半年毎日日記を書いた

僕の場合はメンタルの好不調は睡眠時間に依る所が大きく、就寝時間と起床時間も書いた

計算すると7時間半くらいの睡眠時間の時が一番調子がよく、逆に10時間を超えて寝ている日や6時間を切った睡眠時間の日は不調であることが分かった

 

いや、今回は睡眠について書きたいわけではないので日記に話を戻す

日記を毎日書いてるとじゃあブログでいいかと思っでブログを開設したものの日記とブログでは全然違う

 

日記は無味乾燥で使う言葉も自分だけが分かるような言葉で書く

ブログはこんな僕でもアクセス解析を書く前に見て、「今日もまだ一日の最高閲覧が2回を超えないかぁ」なんて事を見てバズりたいというスケベ心もありながら書く

 

そんなバズりたい欲を捨ててみようかなと今書いてて思った

うん、そうする

これから一週間自分だけの為に書いてた日記のようにブログを書いてみようと思う

3時間

娘が家に来て約2か月が過ぎた

最初の1週間は本当にきつかった

夜は寝られない、寝てもすぐ授乳がやってくるので消毒・お湯の準備

吐いたら服を着替え、またミルクを飲み渋る事もあるので授乳が終わって次の授乳までのフリーの時間は2時間程度という事も多かった

 

仕事や家事は次の授乳の時間が来る3時間後までの間にやるという風になり、時間が減り育児というタスクが増えたことにより、今まで通りやっていたら自分ができる仕事量は減るのでどうやりくりするかの創意工夫があった

 

生後二か月が経ち、夜はミルクを飲まなくても4時間~5時間寝てくれていて心と時間の余裕ができてきた

それは僕だけではなく、妻の顔色や体調もだいぶ良くなってきたように思う

 

しかし、夜眠れるのはうれしいが一日の充実度は下がった

 

眠れなく次の授乳の事ばかり考えている時は優先順位の一位が「3時間後の授乳」で外出をしている時も、「後〇〇分で帰らないといけないからさっさと済まそう」とかそういう意識が働き、できるだけ効率的に時短でやろうというのがあり一つの事への集中力というのは非常に高かったように思う

 

それに妻の負担の事も

「一人で育児をさせ過ぎていないか」

「僕が面倒見て少し自由にさせてあげよう」

「僕が外出した時にはお土産を買って帰って気分を変えてもらおう」

 

そんな気遣いが眠れるようになり、自分の自由時間も少し増えてきたあたりから減った

ボッーとする事が増え、自分で自分をマネジメントして行動することが出来なくなってきた

 

また少し自分に喝を入れて、成長できるように頑張りたいと思う

ブログももっと書きたいし、読みにくい今のブログを読みやすいようにして多くの人に読んでもらいたい

今の一日の最高のアクセス数が2件なのでまずは3件以上に更新して、来月には2桁来場者を目指したい

 

それでは